ここに魂を置いておく。

いまさきたかしの人生観、諸々について。

直感にまつわる考察

わたしは本来、人は霊能力者、超能力者だと想っています。

だから、テレパシーも未来予知もできると想っています。


厳密に言えばそれを日常的に行っている。

それが、【直感】だと想っています。


例えばこんな経験ありませんか?




初対面の人と出逢って


『なんか落ち着く』


逆に『なんかそわそわする』



これって。わたしは、相手との過去や未来を感知しているんだと想っています。


だから、

絶対的に、安心感の方を信じて選んだ方がいいんですね



変な話


未来は時間的に〘先〙にあるんじゃなくて




【横】にある。


というのが、わたしの解釈です。


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生きることは、売命なのか?

ここ最近いろんな人の働き方(生き方)に触れた。

そして、その率直な感想は


働くことが=自分の命を売るになっていないか?という違和感だった


端的な例を飲食業でいうと。

アルバイトは週4、5日くらい。
時給950えんくらいで
だいたい12万えんくらい

社員だと25万えんくらいだけど
延々週6ではたらく。
時間にして、280時間くらい。
それで、年収が300万えんいくかどうか。



???



なんか随分疲弊した末の年収だなーと想う。

それが本当に心からやりたいことではなく

生活の【ため】

家族の【ため】

将来の【ため】

だったら。


わたしは【偽】じゃないかと想う。


仮に自分の親が150万えんくらいの年収で


お父さんはなぜそのくらいしか働かないの?
と聴いて


《いっしょの時間を大切にしたいからだよ》と
ちゃんと眼をみて伝えてくれるのなら、


わたしは、納得する。

無理がなくて、みていてきもちいいなと想う。



今。きっと時代は過渡期で


既存のものに対してようやく疑問符がうまれたばかりなんだと想う。

こころの歯ぎしり。


だから、きっと苦しい。


変わってよ❗なんで変わらないの❗と


会社や社会に訴えてもしかたないと想う。


きっと、変化には時間がかかるから。


でも、即座に変えられる変化が



ひとつだけある。

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それは、自分自身。

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あなたがこの世で見たいと願う変化に、あなた自身がなりなさい。
         ガンジー        

カレー屋さんのおわりに。

後任の川上さんがこんなことを話してくれた。

『今まで働いてきたお店では、仕事ができる人はなにしても許される風潮があり、自分も殴られたり散々きつくあたられてきた。でも、自分が後輩を育てる立場になったとき、同じことはしたりしないと想ったんだ。』と。


本当に、いろんな道のりを歩んできた中で

【自分だけは優しく在る】という決断をできる人が


わたしの尊敬できる人。


川上さんのつくるお店を、今後みてみたい。


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救済論

人って、やっぱり弱い生き物だから


ある時期は


【相手を救おうとして、実は自分を救おうとしている】現象が生まれるきがします。



その意味で、あのしいたけさんも


《恋人同士が別れるときっていうのは、お互いが成長したときなんですね》と語り



あああ、、、、と項垂れてしまったり。



で。結局


人のことなんて誰も救えないのだから



自分のことをちゃんとしようよ、と想うわけで。



誰かより、自分。



ことばより、行動。


その想いが、背中に滲むんだろうな。f:id:soul-space:20170926043035j:plain

病院の幻想

多くの在宅医療での看取りを行ってきた長尾医師の良書。


これは、わたしは全国民必読の書だと想っています。


◯独居でも在宅療養は可能。むしろ家族がいないほうが看取りはかんたん

◯病院死が主流なのは異常

◯病院がなんとかしてくれるという幻想


◯盲信する医師や、まわりの家族こそが
病院での延命に追いやり、結果、苦しい死をもたらしている


今からわたしはこういったことを念頭におき


病院と戦って


在宅でのおわりに、いのちを使いたいと心から想う。
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今日。人の夢を聴いた。

夢を語れるって素敵だと想う。

実現するかどうかじゃなくて、それを

ことばにして伝えられること。とてもすてきだと想う。


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そして、わたしの夢はなんだろうと想う。



わたしの夢は、死なのかもしれない。

人生が人を打ちのめす。

わたしは
どうしても人生には

あるなんらかの【ちから】が働いているように想ってしまう


びょうきになった
最愛の人と死別した
描いた目標とは違う目的地にたどりつく
天災にあった



人生には、理解のできないことがよく起こる


そして、人は因果をしりたがる


その。理由を求めてしまう。


でも、そのきもちを納得させるだけの解、真実にはたどりつくことはない。



わたしたちは、不完全な人間だから。



実は、いちばん、自分自身が


『この人生、いったいどこにたどりつくのか?』と


不安、たのしみ、ごちゃまぜで見つめている。



確かに


自分の人生を操縦しているのは


自分なのだけど、同時に光の大いなる意志のようでもあるきがして。



わたし自身に求められているのは


起こったできごとの正否を問うとかそんなちっぽけなことではなくて


できるだけ


脳の理解をやめなさい。と天に言われているような感じがしているんです。



最期は人間、祈るしかできないんだろうな、と。

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