ここに魂を置いておく。〜いまちゃんのミニマルライフ〜

いまさきたかしの人生観、諸々について。

人が。なにかをゆるすとき。

本村さんの事件が忘れられない

ふとした瞬間に、思い出したりする


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冒頭文

1999年4月、山口県光市で23歳の主婦と生後11カ月の幼児が18歳少年・Fに 惨殺された。たった一人残された夫・本村洋は、少年法によって二重三重に守られた犯 人Fに果てしない闘いを挑んでいく。
少年法を前に思考停止に陥ったマスコミや、相場 主義・前例主義によって形骸化した司法の世界など、本村の前には想像もできなかった 厚い壁が次々と立ちはだかった。絶望に打ちひしがれ辞表を出す本村に、上司は「労働 も納税もしない人間が社会に訴えてもそれはただの負け犬の遠吠えだ。君は社会人たり なさい」と説き、裁判で敗れた検事は「たとえ100回負けても101回目をやる」と 語りかけるなど、さまざまな人たちが、絶望の淵を彷徨う本村を支えていく。
9年間にわたって事件を追いつづけたジャーナリスト門田隆将が差し戻し控 訴審判決の翌朝、広島拘置所で犯人Fから吐露された意外な言葉とは――。




わたしがなぜこうした事件に強く想いを寄せるのか


それは、日常のなかにも


【怒り·ゆるし·運命とはなにか】という

命題が、厳然として佇んでいるからだ



多くは、人生の節目として現れる


天災もそうだし、


親やたいせつな人がなくなることもそう



もっと身近なことでいえば


恋人にふられることも


【理解を超えた体験】だと想う



人は一般的に


理解を超えてしまうと、悲しみと怒りに包まれるのではないか


その瞬間に、


『いいんだよ、愛してる、すべてを祝福している』なんてことは
到底想えないもの。



なぜなら。


《人は、しあわせになりたいから》


こころのどこかで



《人生は自分の思い通りにいく、いってほしい》という願望があるから




わたしも、幼少期の自殺未遂や
親への殺意など極限体験を超えてきたからこそ

今、言えることは、、、




人生は。いのちは。


実は、自分のものでもなんでもないんだということ。



人は、いつから


生かされているという感覚を失うのだろう····



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