ここに魂を置いておく。〜ミタクエオヤシン〜

いまさきたかしの人生観、諸々について。アートサロン・ミタクエオヤシンの情報発信。

相場〜思い込みマネーゲームから降りる〜

人は意識的にか、無意識にか


相場ー比較でものごとを判断している


よくみられるのは


買い物。


きゃべつは150円

りんごは100円

お肉はいくら、、、のように


相場っていうのは言い換えれば
おおよその共通認識のこと


でも、
わたしはもうこれが限界だなーと想う。

たしかに安いお得なスーパーを利用することはあるけれど

もはやそういうのは
絶対的に支持なんてできない


その奥にどんな闇がうごめいているかはかりしれないからだ



実際問題


お給料だって相場できまっている


飲食業はいくら


美容業はいくら


介護職はいくら


政治家はいくら


これは、かなりの格差をもって

圧倒的に相場が支配しているといっても間違いないでしょう


あと何百年しても


介護職と政治家の人のお給料が
逆転することなんてないと想う


支配者が転落しないかぎり。



そういうものの値段やお給料は
つまりはお金


お金は信用なんていうようにもいわれるようになった


ようするに信用があればお金はいらないとか


お金をもっているということは
それだけ信用があるということだ。とか


私はまったくそんなふうには想わない


これがお金の原価


f:id:soul-space:20171204191613p:plain



結局は


人生における価値っていうのは


思い込まされている側と


目覚めた側に分かれてしまう



わたしは

お金よりも
野の花やそのへんにたくさんいる
ありんこやクモのほうが
価値が上だと想っている


そして


【最上の価値は時間】だと想っている


仮想通貨とか
いろんなものも普及して
こんなにお金がよくわからんものに
なってしまっている時代は
生きるのがたいへんかもしれないが


個人個人が


どこに価値を置いて生きるか、それだけなんだと想う。


お金稼げるようになりましたとか


年収がこんなに増えましたとか


そういう発信よりも


私は、こんなことにお金やその他見えないエネルギーを使いますと宣言している人が
おもしろいと想う。稼ぎ方より、使い方。


さかつめけいごくんでいったら
《お花配り》とか。


そういう唯一無二の、一見くびをかしげるような
愚かしいようなことにこそ
人間の真価があらわれると想う。



来年は

いろいろと爆発的な変化を
起こしていく予定なのだけど

その一つが


【年収100万円生活】


これは、実際にすでにやっている人が
たくさんいるので
目新しさでいったらふつうなのだけど
自分が実体験してみたいもののひとつ。



あと

【年収100万円で結婚】もとてもいいと想う。

お金に振り回されず
どれだけお互いが人生をたのしめるかが
常に問われて。


現代社会のお金は
いってみれば【保険】である

いざというときのためにーーー、、というもの


でも、その保険をもし

《人が行うとしたら》


あなたが病気になったら
わたしたちが治療費をはらいます


あなたがホームレスになったら
わたしたちが家を提供します


あなたが無職になったら
わたしたちとしごとをしませんか?




究極、この状態がいちばん健やかな社会だと想う

お金の枯渇におびえなくていいので。




人生の目的なんて、そんなものないと想っているけれど


ひとつ
自分にそれがあるとするならば



《歪んだなにかをリフレーミングして、人が生きやすくなる姿を示す》ということがあるのかもしれない。



f:id:soul-space:20171204193233j:plain