人生は有限。
どんなふうに終わるか。
それが、ホットなテーマ。
日々を喜びで満たしてあげることは、死ぬまでつづけること。
最期が近くなったら
それこそお遍路だろうか。
自分の人生は、本当に数奇だなぁ、、と想いながら
過ごしています。
カレー屋さんも、もうあと一ヶ月。
またライフステージが変わりますね。
その人の想いを重ねて。
相手の立場ってかんたんにことばにするけれど
本当にその人と同じことをしない限り
その人のきもちによりそい、近づくことはできないんじゃないかと想う。
はじめて、リースを作ってみて
リースを作って、贈ってくれる人のきもちは
こんなかんじなのかなぁ、、、と想いが湧いてくる瞬間があった。
ひとつひとつお花を選んで。
ひとつひとつ、ワイヤーで編んでいって。
きもちをこめて
満たされるのは、自分自身なのかもしれないね。
人の信頼できるもの
わたしは、そのひとのすべては
眼と声に表れると想っています。
だから
何回会って、何年の付き合いでとか
全然関係ないと想っている。
声と眼がとても魅力的なら
わたしは、その人と一生付き合いたいなぁ、、って想う。
花贈り
できるだけ
会う人にお花を贈りたいなぁ、、って想う
お花が自分の生活空間にあるだけでどれだけ
こころが安堵するか。
最近は、安堵のために生きているんじゃないかと想うくらい。
ごはんがあって、寝る場所があって、お花に触れられたらもう充分だ(*^^*)
結婚観・人生観
最近いろんな人の結婚観にふれている
吉元さんのこの『大人の結婚』もおもしろい。
いわんとしていることはとてもわかる。
でも
ハウツー本でもなんでもそうだけど。
【人はみな違うのである】
【あなたがうまくいく方法(考え)でわたしもうまくいく】なんていうのは
見当違いだと思わなくてはいけない。
とかんがえたら、その類の本はほとんど買う必要がないのかもしれない。
結婚、についての話に戻ると
いま思い浮かんでいるのが
いわゆる
これまでにもあるような『永遠を誓います』という結婚と、
そうではなく
例えば『結婚を期間限定の契約とします』というものが
同じような位置にあって
選択できるとするならば
わたしは、もうこの時代の人達は
後者を選ぶのではないかと想っています。
なぜなら
短くてもいいし、長くてもいい。あなたたちの
状況、条件に応じて。というメリットしかないから。
フランスはなぜ事実婚が多いのかを調べてみたら
端的に
結婚も離婚も用意する書類やら手続きやらがあまりにも煩雑で
辟易していて、、
乱暴にまとめてしまうとそんな印象でした。
なので、事実婚がもう文化になってしまった。
日本も、時間の問題のように想いますが、
みなさんはどうかんがえるでしょうか?
想像力
この前、お店にお客様(取引先のひとたち)がきて、
カレーを食べてくれた。
ふと、そのひとたちをみてきになったのが
ある一人のひと(おそらく上司)が
ひとの作ったものの上にカバンを置いていたのだ。
わたしはどちらかというと作り手側の立場にいるので
そういうのがとてもきになる。
きっときにならないひとは、何もきにしないのだろう。
街のポイ捨てもしかり。
だから、基本的に
わたしのポッケにはいつもゴミがいっぱいだ。
ポイ捨てしたくないから。
それが耐え難いひとは、ポイ捨てですね。
でも想うのは
ポイ捨てが我慢できなくて
人生のなにが我慢できるのだろうか?という話。