ここに魂を置いておく。〜ミタクエオヤシン〜

いまさきたかしの人生観、諸々について。アートサロン・ミタクエオヤシンの情報発信。

即興〜偶然に身をひらく〜

ある程度発達した社会において


生きることは計画になる


その良い面を否定はしないが

そのほとんどがいわば《算段》になってしまう


●それは損が得か

●結果が得られる保証は?

●コストはどうなのか?

●リスクはどうなんだ?

●それは自分になんのメリットをもたらすのか


いわゆる、サービスや商品は

これらを明快に答える形で

あなたの役にたちますよ、将来のために

絶対安心ですよ。を銘うって販売される。



そりゃ、【不安を動機に生きていたら】買ってしまうでしょう。


だから、わたしは

こういう算段思考になっているときは


要注意だとおもう


いますぐ、自然の中にいって、からっぽになって

アーシングしてきたほうがいいと想う。


そのほうがあなたの心身がよろこぶのでは?


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びっくりしたのがこの写真


アウシュビッツ収容所の門に掲げられていた


意味は【働けば自由になる】


もちろんご存知のとおり


そんなことはなく、強制労働をもとめられ


最後はみんなガス室でした。



日本も、かたちは違えど



いま、そんな道を辿っているきがします。



なりたい私がみえて



それは、打算、算段を超えた


【成熟したこども】


これがいちばんしっくりくる。


老後がご褒美なんじゃなくて


このいのち。この人生が。



壮大なギフトですよ、とわたしはいいたい。

かたちのないものこそ

この世には、職業や会社なんて無数にある

むしろ、ありすぎて


【わたしは、これは人間がやる必要があるのだろうか?】と想う


レジもセルフレジができるようになった


コンビニが無人になる日もあると想う


そのしごとの質というのをみて想うのは


《こじつけ業務》だな、と



無理にしごとにしなくていいものをしごと化して


人を雇い


採算がとれなくなったら、倒産するって


そういうのがいまもつづいているきがする



わたしは
これからの時代は

【そのひと自身】や【かたちのないもの】が

ほんとうのしごとだと想う


人はすぐに

それに名前をつけたがるけど


《no name》でいいのである



わたしは

本当に
ライフワークは
カレーをつくること。
ものづくりをすること。
大切な人の人生に触れて
できうるなら看取ること。


これが、いちばん自分の一致することで


それ以外のことはおまけですね



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相場〜思い込みマネーゲームから降りる〜

人は意識的にか、無意識にか


相場ー比較でものごとを判断している


よくみられるのは


買い物。


きゃべつは150円

りんごは100円

お肉はいくら、、、のように


相場っていうのは言い換えれば
おおよその共通認識のこと


でも、
わたしはもうこれが限界だなーと想う。

たしかに安いお得なスーパーを利用することはあるけれど

もはやそういうのは
絶対的に支持なんてできない


その奥にどんな闇がうごめいているかはかりしれないからだ



実際問題


お給料だって相場できまっている


飲食業はいくら


美容業はいくら


介護職はいくら


政治家はいくら


これは、かなりの格差をもって

圧倒的に相場が支配しているといっても間違いないでしょう


あと何百年しても


介護職と政治家の人のお給料が
逆転することなんてないと想う


支配者が転落しないかぎり。



そういうものの値段やお給料は
つまりはお金


お金は信用なんていうようにもいわれるようになった


ようするに信用があればお金はいらないとか


お金をもっているということは
それだけ信用があるということだ。とか


私はまったくそんなふうには想わない


これがお金の原価


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結局は


人生における価値っていうのは


思い込まされている側と


目覚めた側に分かれてしまう



わたしは

お金よりも
野の花やそのへんにたくさんいる
ありんこやクモのほうが
価値が上だと想っている


そして


【最上の価値は時間】だと想っている


仮想通貨とか
いろんなものも普及して
こんなにお金がよくわからんものに
なってしまっている時代は
生きるのがたいへんかもしれないが


個人個人が


どこに価値を置いて生きるか、それだけなんだと想う。


お金稼げるようになりましたとか


年収がこんなに増えましたとか


そういう発信よりも


私は、こんなことにお金やその他見えないエネルギーを使いますと宣言している人が
おもしろいと想う。稼ぎ方より、使い方。


さかつめけいごくんでいったら
《お花配り》とか。


そういう唯一無二の、一見くびをかしげるような
愚かしいようなことにこそ
人間の真価があらわれると想う。



来年は

いろいろと爆発的な変化を
起こしていく予定なのだけど

その一つが


【年収100万円生活】


これは、実際にすでにやっている人が
たくさんいるので
目新しさでいったらふつうなのだけど
自分が実体験してみたいもののひとつ。



あと

【年収100万円で結婚】もとてもいいと想う。

お金に振り回されず
どれだけお互いが人生をたのしめるかが
常に問われて。


現代社会のお金は
いってみれば【保険】である

いざというときのためにーーー、、というもの


でも、その保険をもし

《人が行うとしたら》


あなたが病気になったら
わたしたちが治療費をはらいます


あなたがホームレスになったら
わたしたちが家を提供します


あなたが無職になったら
わたしたちとしごとをしませんか?




究極、この状態がいちばん健やかな社会だと想う

お金の枯渇におびえなくていいので。




人生の目的なんて、そんなものないと想っているけれど


ひとつ
自分にそれがあるとするならば



《歪んだなにかをリフレーミングして、人が生きやすくなる姿を示す》ということがあるのかもしれない。



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人は生きているし、生かされている

ああ、本当に生かされているなぁ、、と

かんじたときに


涙が出そうになった。


人とは会っていなくても


人はいろんな想いを相手に抱いているし


それを、無意識に受け取っている


透明ななにか



それは、おもいやりだったり

心配だったり

祈りだったり



そういう
大切な人たちの想いがなかったら


本当に人は簡単に廃人にもびょうきにもなるし


そのときの状態次第では自殺してしまうと想った。



一輪の花が


ひとのいのちを救うこともある。


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来年の抱負

今日、歩きながら浮かんできた。



【いそぐことなく とどまることなく
自分自身が変化となる】



これを、大切にしよう。



まだ、模索していく部分はいろいろあるけれど、、



これまでの生き方を改めるっていうのは
すごいことだ


まるで、別人にでもなるかのような



幸い、世の中には面白い人が
たくさんいるもので


わたしがやろうとしていることも
もうすでにやって暮らしている人もいるわけで



その人が。何を大切にしているかっていうのは

やっぱりその人の生活に表れると。



長時間通勤してまで
そのしごとを続けるのは

その会社がどうしても続けたい会社だから
長時間通勤しても
今の家族を支えたいから


かたや
自分は家事のほうが向いているからと
話し合って夫が主夫になる家庭もあるでしょう


今の若者が一生懸命働いているのも

その先に
いちばんは《結婚する自分の将来のために》というのが
いちばん大きいんじゃないだろうか?
今の人たちも
まだマイホームほしいとか想ってるひといるのかな?





わたしは。

時間を、いのちの時間を。


いちばんたいせつにします。

アルキ

時間に余裕さえあれば


わたしは10キロ、20キロへいきで歩く。


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むしろそれくらいなら、


あ、近いなって感覚。



歩いているといろんな感動、発見がある



◯うつくしい景色にあう

◯街のいろんな表情をしる

◯おもしろいお店を発見できる

◯憩いの公園にも出逢える



昔の人はみんな歩いていた


東京から大阪

西から東


北から南


道中の宿泊はどうしていたんだろう。


これだけ歩いている人は



きっと、自分と向き合えるひとだから

さぞ、こころが寛大だと想う


今じゃ、人身事故で電車止まって、舌打ちするひともいる


たしかに交通機関はべんりだけど


週に一回くらい


会いたいひとのために何時間かかけて歩いてみては?という提案。



当たり前のぼやけていた日常なんて、軽く吹き飛ぶのが



【アルキ】



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春になれば

母が亡くなって5年になる


とても優しいひとだった


おそらく、わたしが人生で出逢ってきたひとのなかでいちばん、愚かなほどに優しいひと


そう、そんな優しさのかたまり。



そんな母も、父親が年金暮らしになり
生活苦に伴って


金!金!金!というようになった

まるで、認知症にでもなったんじゃないか?というくらいに。



でも。人と生きるとはそういうことだ


むしろ、家族なんてもんは


苦しみや傷つけ合いがほとんどなんじゃないのか?と想うくらい。



お金っていうのは

それだけ魔力があるんだな。


あの母でさえも。お金の魔力に負けてしまった。



負けてしまったが。



私は、人の内なる魂は永遠だと想う。



今生での苦しい、愛しい一生おつかれさまでしたと
心から想う。


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