ここに魂を置いておく。〜ミタクエオヤシン〜

いまさきたかしの人生観、諸々について。アートサロン・ミタクエオヤシンの情報発信。

死のワークショップ

今日は死のワークショップに参加してきました。

大半の参加者は大学生、なかには高校生の男性もいました(^o^)

死という捉えようのないものに対して

いろんな意見があがる。


お金の不安


無縁仏はどうなる


自分の遺体はだれに見られるのか


突然亡くなった場合は?


それらを系統立てでかんがえる術をわたしたちはもっていない


だから、せめてそれをガイダンスしてもらえるツールが必要だ


f:id:soul-space:20170903221433j:plain


こんな本があったので
一家に一冊あっても困らないだろう。


死に対する準備の仕方は
人それぞれなので
一概には言えない


でも、人は急に亡くなる


それが事実


だから、今、まだ思考できて、身体がうごく

いまこそ


それが必要なんだ。


わたしも


遺書を書いていこうと想うので

追ってその内容をお伝えします。

f:id:soul-space:20170903221647j:plain

スタッフのはるさんが撮ってくれました(*^^*)すてきな写真ありがとう*

関わりの基準

生きていればいろんな人間に出逢う。



ただ、今後もその人に会い続けるかどうかは


自分の意志次第だ。



その人が、


社会的地位があるとか、にんきがあるとか


収入が多いとか


そんなことはどうでもいいことで。



自分の内側からどんな感情、感覚がでてくるかが大事。


やっぱりいちばんは安心感だと想う。


そして、無条件に愛せること。


愛せない人、きらいな人がいるのは自然なこと。



自分の奥深くにあるものが



安心する、惹かれる人と生きていこう。
f:id:soul-space:20170901193943j:plain

告白。

昨日、テレビで千葉県の中学生が

屋上で告白するという番組をやっていました。


その中で際立っていたのは


好きだ!を連呼して


『ごめんなさい』と一瞬でふられ


男泣きをした子。



人を好きになるって


成就したかどうか


いってしまえば告白したかどうか


長く付き合ったかどうかなんて関係ないんだろうなと想った。



そのとき。たしかに。
生まれた感情が大事。



一瞬で振られようと


4、50年連れ添って死別しようと


どちらも愛なのだ。



どちらが優劣かなんて話にならない。



人の愛っていろんなかたちがある。



愛して、愛して、愛して。



人はいったいどこへいくのでしょうか。


f:id:soul-space:20170831095845j:plain

ねじ

うちのお店のお隣さんが

グリーンカフェというカフェ兼お弁当屋さんをやっていて


たまにごはんくださーいと


お米を買いにくるんですが。


たまたまお米を差し上げた日に


グリーンカフェさんの炊飯器のなかに


『ねじ』がはいっていました、と報告がありました。


カレー屋さんのねじではないですか?と


結果的にグリーンカフェさんの備品のねじだったそうですが



わたしがすごいな、と想ったのは


グリーンカフェさんの人たちは


《あなたのせいでねじが入ったのよ》と


よくありがちな他者責任を押し付けてこなかったことです。


本当に。大人だな、と想いました。



誰との関係においても



そういう予期せぬ出来事の反応で



その人の心の深さ、成熟度がわかるかんじがします。

f:id:soul-space:20170831095321j:plain

くらやみ

視覚をなくす。


それが、豊かさをもたらすなんて、およそ想像もつかない。


ダイアログインザダークが
今月31日で閉館になることを知って
なんとか予約できて体験してきました。

f:id:soul-space:20170830044817j:plain
見知らぬ6人が、1グループとなって

本当に。なにも見えない暗闇の空間に入っていく。


どれくらいの広さも検討がつかない。


お互いの【声】だけが

頼りの世界。


なにも見えない暗闇の世界は


どちらかというと、不安や恐怖を連想させるけれど


わたしが感じたのは


真逆の安心と信頼だった。

困って進めなくなったら
迷わず
『ここにいます。』


『進めません。どうなっていますか?』


『誰か、そこにいますか?』


と声をかけあう。


本当に、宇宙空間のようだった。


なぜ、暗闇が安心するのか


それは、
信頼のこころを
繫いでいなければ、その世界で生きていけないからだ。

安心ベースで、助け合う。


はっきりいって


お互いをジャッジしてる
隙間なんてないと想った。



そのシンプルでクリアな信頼関係を目撃してしまうと


日常生活は


あまりに

いがみ合い、比べ合い、判断、思い込みをし


どうでもいいようなことに


人のいのちのエネルギーをつかっているんだなぁ、、と



暗闇は大切なことをおしえてくれる


わたしは

暗闇をとおして



《生まれてくる前の世界》が


こんなかんじなんじゃないかと想いました。



お互いのあたたかい光だけを感じ合う世界

そこから
ものすごい覚悟でわたしたちは地球に生まれてきた。



また、きっと亡くなったらそこに

戻るのでしょう。


人生おつかれさまですね。

f:id:soul-space:20170830045635j:plain

ひとがはたらくということ

ひとがはたらくということは


もっともっと


わたしたちが想う以上に


【厳か】だと想う



今の大多数の企業がやっているような


《給与支給しているんだから、その分のはたらきをしろ!》
みたいな暗にほのめかす経営は


ひとに対する暴力だと想う。


高度成長期は、それでいい!それでいい。

マイホームもマイカーもほしいし。

みたいに、利害が一致したんだろうな。


もはや、そんな幻想は終わった。


最近、少しずつ変わってきたと想う。



そういった意味で


人は病んだり、死を意識しなければ


変わらない生き物なのかもしれない。


どこまでも惰性で行ってしまう。f:id:soul-space:20170829104310j:plain